産業医によるがん就労支援の実際

産業医とは

「産業医」という言葉を聞いたことはありますか。産業医とは、会社のなかで働く人の健康管理などについて専門的な立場から指導・助言を行う医師をいいます。労働安全衛生法により、社員50人以上の事業場(本社、支社、営業所、工場など)では産業医を選任することが義務付けられています。大きな会社であれば常勤の専属産業医がいることが多いのですが、ほとんどの会社では嘱託産業医として月に1回ないし数回訪問しています。

実際の産業医活動は、会社のなかで働く人の健康に関するニーズ全般に対して、医学的知識や経験をもとに健康面からアプローチしていきます。そのようなニーズは、会社の業種や業務内容、さらには社会情勢によって大きく変化し、最近では社員の健康をより積極的に支援しようと考える会社が増えています。以下は、産業医の職務として厚生労働省が労働安全衛生規則に規定している内容です。

産業医の職務

  1. 健康診断の実施及びその結果に基づく労働者の健康を保持するための措置
  2. 長時間労働者に対する面接指導、その結果に基づく措置
  3. ストレスチェック、高ストレス者への面接指導、その結果に基づく措置
  4. 作業環境の維持管理
  5. 作業管理
  6. 上記以外の労働者の健康管理
  7. 健康教育、健康相談、労働者の健康の保持増進措置
  8. 衛生教育
  9. 労働者の健康障害の原因の調査、再発防止
(労働安全衛生規則 第十四条より)

このように非常に幅広い内容が規定されていますが、産業医の職務の中核をなすものは、「適正配置」であると考えています。「仕事を労働者に適応させること」と「労働者を仕事に適応させること」の両面の調和を図り、働く人の健康にとって最良の結果を追求することが適正配置です。産業医は、何らかの健康問題を抱えた社員に対して、就労の可否を判断するとともに、職場環境や作業を改善したり業務負荷を軽減したりすることによって健康状態の維持・回復を図ることができるように、必要な配慮事項について会社側に意見します。つまり、産業医は病気の診断や治療を行うのではなく、現在の健康状態で働けるのか働けないのか、もしくは働く際にどのような配慮が必要なのかを判断することが最も重要な役割です。

がんに罹患した社員の就労支援についても、この適正配置という考え方に基づいて進めていきます。平成28年に厚生労働省から「事業場における治療と職業生活の両立支援のためのガイドライン」(https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11201250-Roudoukijunkyoku-Roudoujoukenseisakuka/0000113625_1.pdf別ウィンドウで開きます。PDFで開きます)が示されたことから、従来からの適正配置の考え方に加えて、両立支援という考え方が急速に広がっています。がん治療に対する会社側の配慮や適切な措置がなければ働き続けることが難しくなりますので、ガイドラインでも産業医の積極的な関わりを求めています。

産業医によるがん就労支援
本人への支援 病状や治療内容に応じて、治療と仕事の両立を図ります。相談対応を通じて精神面のサポートを行います。
上司や同僚への支援 配慮すべき作業内容や職場環境についてアドバイスします。がん就労に対する職場の理解を促します。
人事労務担当者との連携 就業規則や制度に照らして、勤務形態や作業内容の変更、通勤への配慮など、就業上の配慮について意見します。
主治医との連携 会社や仕事の状況を伝えるとともに、病状や治療状況を確認し、主治医から就労への影響について意見をもらいます。

ひとりで悩まないで

突然がんと診断されると誰もが混乱し不安になります。「死んでしまうのだろうか」「手術しないといけないのだろうか」「入院期間はどのくらいだろうか」「再発しないだろうか」と、まず病気の心配や不安が頭をよぎります。続いて、家族や経済的負担、仕事のことについてもいろいろと心配になってくることと思います。仕事については、「今の仕事を続けられるだろうか」「仕事を休めるだろうか」「周りの人はどう思うだろうか」といったことを心配する方が多いようです。

また、実際に手術などの治療計画が決まっていくなかで、どのタイミングで、どのように、上司や同僚に伝えるのかは難しい問題です。多くは、仕事を休まないといけない状況になった時に、上司や人事労務担当者にがんについて伝えています。

一方で、上司や同僚にはがんになったことを伝えず、「病気の治療のためしばらく休みます」とだけ伝え、年次有給休暇で仕事を休む社員もいます。がんであることを職場に伝えない理由はさまざまですが、心配や不安がいっぱいで気持ちが整理できていないまま治療のために仕事を休まなければいけない状況に至ったケースも多いと思われます。

上司や人事労務担当者、さらには同僚への伝え方やタイミングは一律である必要はなく、本人の希望や状況に応じて柔軟で良いと考えています。ひとりで悩み、抱え込まずに、産業医に相談してほしいと思います。産業医であれば、会社の実情も理解しており、病状や治療状況に応じて伝え方についても適切なアドバイスをしてくれるはずです。また、社内の情報の取扱いについて不安を感じている方も多いですが、どの範囲にどのような情報が開示されるのかについて産業医や人事労務担当者からきちんと説明を受けることで不安が払拭されると思います。

産業医への相談は早いタイミングが望ましいですが、診断後すぐではなくとも手術後や復職後、抗がん剤治療中など、その時々の心配や不安について気軽に相談してください。もし会社に産業医がいなければ、各都道府県にある産業保健総合支援センターを活用してください。産業医や産業看護職を含めたさまざまな専門職が対応する無料の相談窓口があります。メール、電話、面談での相談に応じていますので、治療と仕事の両立をどのように進めて良いかわからない場合は相談してみましょう。

働き方の選択

がんの種類や病状によって、治療方針や経過は大きく異なります。こうした治療状況や経過に応じて、仕事を休むのか、働きながら治療を行うのかなど、働き方を選択していく必要があります。「会社や同僚に迷惑をかけたくない」と考え、今まで通りの働き方をして体調を崩してしまう方もいます。

産業医は本人から治療状況などを確認して、今まで通り仕事ができるか、どのような配慮が必要なのかを判断していきます。例えば、抗がん剤や放射線治療中には、体力の低下、倦怠感、免疫力の低下などを認めやすく、立ち作業、重量物の取扱い、交替制勤務、休憩時間への配慮などが必要となってきます。また、短時間勤務や時差出勤、在宅勤務などが利用可能であれば、その適用を人事労務担当者と一緒に検討していきます。人事労務担当者との話し合いによって、会社に制度がなくても配慮してもらえる可能性もあります。

そして、主治医との連携も産業医の重要な役割です。会社の制度や仕事の内容などを主治医に伝えることによって、治療方法の選択やタイミングなどを検討してもらえる可能性があります。また、病状や治療が仕事に及ぼす影響について主治医から意見をもらうことで、産業医としてもより適切に判断することが可能となります。

以上のように、産業医は本人の病状や治療状況を確認して、就労の可否に関する判断や配慮事項を検討します。産業医として就労不可の判断を下さないといけない場合もありますが、多くの場合は、本人の気持ちを受け止めつつ、一緒に最善の働き方を見つけていくことができます。がん就労支援がうまくいっていないケースのほとんどが関係者間の情報不足や理解不足が原因です。産業医は、これらの原因を取り除くためにコーディネーターの役割を果たし、本人に寄り添うことで本人の自己決定を支え、最良ながん就労支援を目指しています。

(2019年10月公開)

<執筆者>
上原 正道(うえはら まさみち)先生

執筆者プロフィール
ブラザー工業株式会社 健康管理センター 統括産業医

資格・所属学会

日本医師会認定産業医、日本産業衛生学会産業衛生指導医、社会医学系指導医、労働衛生コンサルタント(保健衛生)、日本人間ドック学会人間ドック健診専門医

ご略歴

平成9年 産業医科大学医学部卒業
平成9年 産業医科大学病院
平成10年 筑豊労災病院内科
平成11年 松下産業衛生科学センター、松下電工株式会社 本社健康管理室
平成12年 産業医科大学産業生態科学研究所環境疫学教室
平成14年 厚生労働省労働基準局安全衛生部労働衛生課
平成16年 ブラザー工業株式会社 統括産業医

書籍

産業医ストラテジー(編集) バイオコミュニケーションズ
高齢者雇用に役立つエイジマネジメント(共著) 労働調査会
職場における身体活動・運動指導の進め方(共著) 大修館書店