治療も、仕事も、継続のカギは体力維持にあり。正しい知識を得て、穏やかに病と共生する

ステージIV/肺がん
岸本伸之さん

がんと診断されながらも、治療と仕事を両立している方々は、「働くこと」とどのように向き合っているのでしょうか。“わたしの働き方”シリーズの第3回目に登場するのは、岸本伸之さんと妻の雅子さんです。消防士として活躍していた伸之さんは、2006年に胃がんが見つかり手術。その後は再発もなく経過していましたが、2015年6月に肺がんと副腎転移が見つかり、ステージIVと診断されました。2006年に胃がんで治療を受けた後も消防士として勤務を続け、肺がん治療中の現在は、県庁の嘱託職員としてがん対策推進室に勤務されています。告知を受けたときのお気持ちや、仕事への向き合い方、がんに関する情報収集方法について、お話を伺いました。

本記事の情報は、取材時(2019年7月)のものです。

プロフィール
岸本 伸之(きしもと のぶゆき)さん/54歳
島根県在住。23歳から消防士として働き、雅子さんと結婚して一女をもうける。2006年に胃がんと診断されたが、手術により完治。2015年6月に肺がんと副腎転移が見つかり、ステージIVと判明。現在は雅子さんと同じ県庁で、がん対策推進室の嘱託職員として勤務。
岸本 雅子(きしもと まさこ)さん/53歳
結婚前は歯科衛生士として働いていたが、伸之さんとの結婚を機に県庁の嘱託職員として勤務する。

胃がんと告知。納得がいく治療を求めセカンドオピニオン

伸之さんはこれまでに2度、がんと診断されています。まず、2006年に胃がんが見つかったそうですね。

伸之さん:当時は39歳で、長らく消防士として現場で働いていました。そんなとき、定期的に受診していた人間ドックで胃カメラを飲んだ際に、精密検査が必要と言われ、後日胃がんであることが判明しました。人間ドックを受ける前から時々、胃の痛みを感じることはあったのですが、前年の人間ドックでは、異常なし、キレイな胃だと言われていましたので、胃がんと告知されたときは、ショックですぐには信じられませんでした。

奥さまは、胃がんと聞いて、いかがでしたか?

雅子さん:当時は娘が小学校3年生で、まだまだ幼いですから、もちろん聞いたときのショックは大きかったのですが、ステージIBだったこともあり「手術をすれば治る」と聞いていたので、そこまで深刻には考えていませんでした。ただ、その時にインターネットでがんのことを色々と調べたことを、今も鮮明に覚えています。

伸之さん:手術で胃を切除することになったのですが、非常に不安でしたね。胃がなくなるとどういう影響が出るんだろう、自分の体はどうなってしまうのだろうと…。食べることも飲むことも好きだったので、胃がなくなってしまうことを想像できなかったんです。また、消防士という体力の必要な仕事をしていたので、胃を切除しても体力を維持できるのか、働き続けられるのかという心配もありました。

最初は「胃の全摘出」と診断されていましたが、結果的に1/2の切除で済んだと聞いています。手術に関しては、医師とどのように相談されたのでしょうか?

伸之さん:大きな病院を2つまわって診てもらったのですが、人間ドックを受けた病院でも、セカンドオピニオンを受けた大学病院でも、両方で「全摘出」と言われました。そのときに受けた手術の説明の仕方や対応に、納得できない部分があったもので…。それで、別の大学病院にサードオピニオンとして話を聞きに行きました。すると、その病院の対応が非常に丁寧だったんです。私の仕事のことや年齢のことに配慮してくれ、手術も全摘出以外の方法として、体力を温存できるよう、胃を半分残す方法を提案してくれました。
消防士という体が資本の仕事なので、この提案は非常にありがたかったですね。手術後は4か月で復職することができ、再発もなく無事に5年を経過して、完治したと思っています。

胃がんと診断された際、職場にはどのように伝えましたか?

伸之さん:人間ドックで引っかかったことは伝えていましたので、その後、胃がんと診断されて手術が必要だとそのまま報告しました。同時に、ステージIBということもあり、治る可能性が高いことも話しました。隠してもしょうがないことですし、手術後に痩せてしまうと聞いていたので、言わなくても周囲にも気づかれてしまうだろうと思っていました。
復職後、最初の1か月間は日勤だけにしてもらいました。消防士の場合は24時間勤務で、8時から翌日の8時まで働いて1日休むというのが通常です。復職後にいきなり24時間勤務は難しいので、日勤で徐々に慣らしていきました。治療中に体力が落ちていたので、復帰直後はとても大変でしたね。食べる量も減っていましたし、早く食べると詰まってしまう。昔の感覚で食べようとすると、すぐ苦しくなりますし、一口多く食べただけでも苦しいので、間食を入れるなど、食べ方を工夫して対応しました。

奥さまはどのようにサポートされていましたか?

雅子さん:体によさそうな和食を中心に、食べられそうなものを作って出していました。慣れてきたらふつうの食事もできるようになっていきましたが、煮物など、野菜が中心になるようにメニューを考えていました。

当時娘さんは小学校3年生だったと伺いましたが、がんであることを伝えましたか?

伸之さん:なかなか伝えることができないまま、手術をする直前に、娘が消防署の見学に来ることになったんです。すでに手術のために休暇を取っていましたが、その日だけは出勤して娘の見学に対応しました。手術の数日前になってようやく、「お腹に悪いものができて、手術することになったよ。でも、心配しなくて大丈夫だからね」と娘に伝えました。がんであるということは、そのときは言っていません。

2度目のがん告知。患者会や学会に足を運び、正しい知識を学ぶ

岸本雅子さん、伸之さん

胃がんは完治しましたが、伸之さんはその後2015年に肺がんと診断されました。そのときの状況をお聞かせください。

伸之さん:2015年5月の終わりに、肺がんが見つかりました。毎年受けていた人間ドックでは異常は見つからなかったのですが、同年4月に今まで全くかかったことのないインフルエンザになって、「どうも体調がおかしい」と感じていたんです。当時は内勤に異動になっていたので、体調不良は運動不足が原因かもしれないと思いました。そこで体を鍛え直すためランニングを始めたのですが、息が続かなくて走ることができないのです。5月には夜中に腹痛と吐き気、冷や汗で目が覚めることがあって、これはおかしいと。胃の手術を受けると胆嚢炎になりやすいと聞いていたので、それかなと考えていました。
以前、胃の摘出手術をした病院に電話をしたところ、診察してもらえるのは2日後とのことで、すぐに診てもらった方がよいと思い、以前に手術を受けた病院での診察を待たずに、近所のクリニックに行きました。すると、「腹痛の原因は胆嚢炎かもしれないが、肝臓の付近にも気になるものがある」ということで、総合病院を紹介されました。紹介先の病院でCTを撮ることになったのですが、その際に、ふと気になって肺もついでに撮ってほしいと医師にお願いしました。その結果、肺がんであることが発覚したんです。
その後、精密検査で副腎への転移も見つかりました。ステージⅣで手術も放射線治療もできない状態ということがわかったのが、2015年6月です。ステージIVと聞いて、“死”の文字が頭をよぎりました。

ステージIVであると告知を受けた後は、どうされましたか?

伸之さん:ステージIVだとわかってからは、「死ぬまで治療で苦しい思いをするのは嫌だな」という思いでした。妹を乳がんで亡くしていましたので、肺がんの治療を開始するのと同時に、緩和ケアを受けるつもりでした。妹がお世話になった緩和ケアの先生にお会いして、今度は私ががんになったことを伝え、何かあったときの対応をお願いしました。先生からは「医療も進歩して、生存率も高くなったから、今では緩和ケア病棟から、元気になって家に帰る方もいるんですよ」という話をしていただいて、気持ちが少しラクになったのを覚えています。

奥さまはいかがでしたか?

雅子さん:ステージIVという告知を受けてからは「暮らし方を変えよう」という話をしました。それまでの夫は、夜勤が終わった後に、旅行やアウトドアに出かけて、体を休める暇がありませんでした。忙しさからか、怒りっぽいことも多くて…私のほうも会話を控えてしまうこともありました。そこで、これからは自分自身を大切にしてほしいと伝え、穏やかに暮らそうという提案を夫にしました。今では夫婦の会話も増えて、最近は怒ることもなくなりました。

伸之さん:妻に言われて、たしかに以前は自分を大事にしてなかったな、と思いました。胃がんになってから穏やかに暮らそうと思った時期もありましたが、日が経つと元気なのが当たり前になってしまい、寝なかったり趣味に時間かけたりして、体に負担をかけていたことに気が付きました。これは体をいたわらないといけないなと。そのために、きちんとした食事をとって体力を維持し、規則正しい生活を送ろうと決めました。あとは心を整えようと、禅寺に行って三泊四日の修行で坐禅を組んだり、今までしていなかったことも新たに始めました。

その他にも印象に残っていることはありますか。

伸之さん:抗がん剤治療を受けた後、NHKで放送していた、がんをテーマにした番組を見ていたのですが、その番組に続いて「NPO法人肺がん患者の会ワンステップ」代表の長谷川一男さんのドキュメンタリーが放送されて、たまたま見たんです。こんな人もいるのかと衝撃を受けました。
ステージIVと言われて、正直なところ、あとは弱っていくだけなのかと思っていたのですが、長谷川さんもステージIVであるにも関わらず、手術して放射線治療をしている。その番組を見てすぐに、ワンステップに登録しました。神戸で公開講座があると知り、長谷川さんに会いに行きました。その講座には、ステージⅣでも元気な人がたくさん来ていて、「自分も大丈夫かも」と希望が持てました。ほかにも肺がん学会の患者向けプログラムに参加して、肺がんの正しい知識を学びました。ステージIVと告知を受けた当初は悲観的な思いが強く、先のことを考えて震えがくるほど怖くなるような時期もありましたが、医学の進歩や元気に暮らしている人もいることを知って、今では恐れることも減り、穏やかな生活を送っています。

仲間たちと楽しい時間を過ごし、治療に前向きに

その後、抗がん剤治療をスタートされますが、その時期のお話をお願いします。

伸之さん:2015年7月に抗がん剤治療のために入院しました。入院前は、終活のつもりで荷物の整理をしながら自然と涙が出てしまうことがあったり、緊張や不安でいろいろなことを考えてしまい、気が弱くなってしまっていました。
そんな折、親しくしている同僚が家を訪ねてくれました。私が仕事をずっと休んでいるのを伝え聞いたというのです。がんであることを伝え、四国でサーフィンをするという昔の約束をもう果たせないかもしれないと話していたら、同僚が「来週行こう」と言い始めまして。結局、本当に翌週四国へ行くことになったんです。
当初は6月中頃の入院を予定していましたが、7月に延期してもらって、仲間と四国へサーフィンをしに行ってきました。サーフィンをしない他の同僚も旅行に参加してくれて、3日間仲間たちと共に過ごしたら、ずいぶんと気が楽になりましたね。こんなに楽しめる気持ちを持てるなら、治療も何とかなるんじゃないか、体を大事にして、これからはもっと自分らしく生きていこうと思えるようになりました。

その後、治療に専念したわけですね。

伸之さん:サーフィンから帰って来た後は、妻からも「顔色が良くなった」と言われました。退院後また仲間とサーフィンに行くためにも、入院中もできるだけ体力を維持したいと考えるようになりまして、入院中は病院の階段を上り下りしたり、腕立て伏せやスクワットをしていましたね。看護師さんには、「病人なんだからほどほどにしてくださいよ」と心配されてしまいましたが。
体力維持のために運動を続けたいと考え、入院して早々にリハビリ室を利用したいと病院側に相談したところ、前例がないからダメだと断られてしまったんです。そこで諦めずに交渉を続け、病棟の隅のほうでヨガマットを敷いて腕立て伏せやストレッチをするくらいなら、と許可をもらえました。抗がん剤の副作用が出るときには運動を休むようにしていましたが、それ以外はできる範囲で運動を続けていると、看護師さんも見る目が変わってきたようで、「無理はしないでくださいね」と、心配しつつも応援してくれるようになってきました。退院までに体重を落とさないことが目標だったので、もちろん食べられないときもありましたが、食べられるときにはしっかり食べて筋肉も落とさないようにして、体重管理に努めました。

退院後は復職されたのでしょうか。

伸之さん:傷病休暇などを経て、2017年12月に復職しました。しかし、治療や今後のことも考え2019年の3月に退職し、現在は県庁の嘱託職員としてがん対策推進室で働いています。実は妻と同じ職場なんです。昼休みには食堂で一緒に昼食を摂ったりしています。

雅子さん:ステージIVとわかり、夫を大事にしようという気持ちが以前よりさらに強くなりました。私自身も心境の変化がありまして、自分中心ではなく夫のために行動するようになりました。不思議なもので、そうしていると家族や周りとの関係がよくなってきました。このままよい方向に進んでいくことを願っています。

最後に読者へメッセージをお願いします。

伸之さん:復職後の働き方については、一人で悩まずに、人事など職場の担当者にきちんと話をした方が、納得がいく無理のない働き方ができるようになると思います。一時の感情で仕事を辞めるという決断をするのではなく、医師や職場の人事担当者、産業医などと相談して、何が最善なのかじっくりと考えてみてください。復職後は、同僚に助けてもらったり、配慮をしてもらったり、勤務時間を短縮すると迷惑をかけることもあります。同僚からのそうしたサポートのことも考え、一緒に働く仲間たちときちんとコミュニケーションをとっていくことも大切です。また、実際に治療しながら働いている人の話を聞くこともおすすめします。がん患者が集まる場に参加すると、いろいろな話を聞けますよ。とにかく一人で抱え込まないこと、そして、自分を大切にしてほしいと思います。

(取材・執筆 眞田幸剛)